アラフォーでサイドFIREしたゆるふわフリーランスのプロフィール
このブログでは、アラフォーでセミリタイア(サイドFIRE)した私が、どのように資産形成をしたのか?を中心に、お金の心配をせずゆるくふんわり生きていく方法を発信しています。
せっかくお金&副業系ブログなので、お金関連を中心に書いてみたいと思います。
こども〜高校生の頃
小学生から中学生にかけては、かなりの引っ込み思案な子だったと思います。
というのも、当時はいじめられっ子でほとんど記憶がありません。嫌な記憶を深くに閉じ込めてしまったのかもしれません。
あまり覚えていないのですが、幼い頃は、お年玉はおばあちゃんちからの帰り道に本屋に寄って絵本を買ってもらう以外は、毎年貯めていました。
ゲームも持っていませんでしたし、漫画にも興味がありませんでした。(何して遊んでいたんだろ・・・笑。)
貯金箱のお金が増えていくのを数えるのが好きだったことは、覚えています。笑。郵便ポストの形をした貯金箱でした。
駅前のショッピングビルで買い物することを覚えた
高校生になり、バス通学で高校へ通うようになり、地元のショッピングビルに寄ることを覚えました。
アイスを買ったり、モスバーガーで寄り道をしたり。
もらったお小遣いは、ほとんど使って切っていましたねー。この頃は貯金意識ゼロでした。
もちろん簿記なんて知るわけもなく・・。この頃にもう少しお金についての知識をつけておけばよかったなと思います。
今は、リベ大など優良な金融教育コンテンツも無料で視聴できるので、早めにお子さんに与えてもよいかなと思います。
私のおすすめは、バビロンの大富豪(漫画版)です。
とってもわかりやすくて、お金の基礎教育にはもってこいだと思います。
大学時代
実家を出て、一人暮らしを始め、アルバイトをするようになりました。
スポーツジムは、勤務時間以外は自由に使えるというところに惹かれてやっていました。時給は安かったですが、アパートの目の前だったので通勤時間3分、とってもよかったです。
家庭教師事務所の仕事は、時給もよく、他に誰もいない事務所でひとりで電話番をすればよく、電話も少ししかかかってこなかったので、暇な間はレポートを書いたり本を読んだりしていました。卒業まで、ずっとやっていました。
ビジネスの基本を学んだ
この家庭教師事務所の仕事がよかったのは、自分が電話番をして受けた問い合わせ電話に対して、自分が契約を取りに行く営業ができたことです。
これは歩合制で、制約したら1回で1万円くらいもらえました。
相手の悩みを解決することが報酬につながる
電話で問い合わせをされる親御さんの多くは、自分の子供の学校の成績が悪くて悩んでいる方たちです。
しかも、かなり深刻に悩んでいる方が多いです。このままだと希望の高校に行けない・・どうしよう・・と。
そういう親御さんの話をまずはしっかりと聞き、一通り悩みを伺って、「実は私自身も○○大学の学生なんですよ」と切り出します。
(地域的に無理な場合も多いので)私が毎週お伺いすることは難しいのですが、まずは家庭教師ってこんな感じというのを感じていただきたいので、一回体験レッスンをやってみませんか?
体験レッスンは私がお伺いすることもできるのですが、いかがですか?と持ちかけます。
びっくりするくらいの確率で、成約します。
私自身がお悩みの電話を受けた上で、実際に体験レッスンに訪問する場合、びっくりするくらいの確率で、成約します。ほぼ100%でした。
実際にお宅に伺って、だいたい30分から1時間くらい一生懸命勉強を教えます。
お電話でお話をした段階で、親御さんは私に対して心を開いてくれている状態なので、とても好意的に迎え入れてくれて、「あなたみたいな人が来てくれるなら、契約をしたい!」となるんです。
お子さんが少しでも勉強がわかったと思ってくれるのも嬉しかったですし、報酬もよかったのも続けられた理由です。
大人になってから
私のサイドFIREに至るまでの流れは、簡単にまとめるとこんな感じです。
せっかくの機会なので、細かく振り返ってみます。
会社員時代
新卒で入った会社は、上場企業でした。氷河期時代で100社以上、エントリーシートを送ったりして、鬱になりそうでしたが、なんとか引っかかりました。
ただ、正直、全く興味のないジャンルの会社でした。
経営企画部の中のPR(広報)というあたりを担当していたため(新人なので下働き。)、会社が大きく動いていく様子を間近でみられて、またIR資料のデザインなどもしていたので、投資家という存在を知ったのもこの頃でした。
また、社内で決算情報などを扱っており、インサイダーになってしまうので、株式投資は入社時に始めた分の持株会以外できませんでした。(ちなみに退職時には、その会社は一部上場していたので、毎月1000円程度しかやっていない私でも数万円のプラスで返ってきました。ラッキー!)
素晴らしい上司に恵まれましたが、いかんせん仕事がしんどく、長くは続けられないなーと思い、勢いで退職。
帰国後フリーランスとして
帰国後、自分の好きなジャンルの仕事でフリーランスとして働き始めました。
とは言っても、ほとんど仕事もなく、実家でぼーっとすることも多かったです。
最初の頃は、実家に住まわせてもらっていたので、生活費も少なく済み、ありがたかったです。感謝!
30代は休みなくひたすら働きまくった日々
少しずつ仕事も軌道に乗り、30代はずーっと働いていました。
仕事が面白かったし、会社員と違ってフリーランスだと、働けば働いた分だけ収入が増えて気持ちもお金も充実していました。
いつも疲れていました。
ただ、この時働きまくったおかげで、今のサイドFIRE生活の基盤ができたといっても過言ではありません。
でも、こういうやり方はあまりおすすめはしません・・・。
30代前半で1000万円を達成
仕事が軌道に乗り、30代前半で1000万円を達成しました。銀行の通帳を見ては残高が増えていくのをニヤニヤ見ていたのを覚えています。
というのも、父から「しっかり勉強して、ある程度資産を築いてからしか投資はやらない方が良い」と言われていたからです。
当時の私は、投資に関する知識もほとんどなかったですし、怖がりの性格でもあるため、ひたすら貯金を続けていました。
30代後半で2000万円を達成
特に30代後半も仕事をひたすらこなす日々でした。
資産は順調に増えていきましたが、いつも疲れている状態。ずーっとこんな感じで働くのはちょっと無理だなーとも思い始めていました。
同時に、将来のことを考えて、お金をもっと貯めないといけないなーとも思っていました。
リベ大の動画を見て衝撃!普通の人でも投資していいんだ!
普段からYouTubeが好きで、よく見ていたのですが、ある日、突然おすすめに出てきたリベ大の動画を見て、衝撃を受けました。
今や100万人規模のチャンネルですが、登録者がまだ数100人くらいの初期の頃に出会えたのは、本当にラッキーだったと思います。
リベ大の動画を見て一番びっくりしたことは、「普通の人でも投資をしてもいいんだ」ということ。
私みたいな人でも投資にチャレンジできるんだ!と知り、毎日のように動画を身漁りました。
インデックス投資をスタート
株式投資は怖いものというイメージがありましたが、
「世界は発展し続ける」という前提のもと、多くの企業に投資できる「インデックス投資」は、私にはピッタリでした。
世界は発展し続けている、ということを理解できたのは、ファクトフルネスという本を読んだからです。
すぐに楽天証券とSBI証券の口座を開設
それまで大手の銀行から電話で「預金あるので投資しませんか?」とかかかってくることが何度かありました。
その度にめんどくさいなーと思っていたので、ネット銀行やネット証券は私にはピッタリでした。
インデックス投資をするなら、ネット証券がいい理由
今から振り返ると、いい時期にスタートできたなと思います。
投資を始めて結構すぐにコロナショックが起こった
2019年頃からインデックス投資をスタートしましたが、結構すぐにコロナショックが起こりました。
サーキットブレーカーという取引が中止になってしまう状況など、市場が刻一刻と変わっていく様子を見て、びっくりしました・・・というわけではなく、
え、これ、チャンスじゃん?と思った私。笑
それは、インデックス投資は世界の発展にかける投資だと理解していたからです。
コロナウィルスで世界が終わってしまうとは考えにくかったですし(怖かったのは怖かったですが)いずれワクチンができて復活するだろうと思っていました。
この考えを理解できたのは、やはり、ファクトフルネスという本のおかげもあると思います。再び登場。笑
とは言っても、まだ超初心者だったので、1日1万円ずつeMaxis Slim S&P500を買っていきました。
勇気がでた日は10万くらい買った日もありますが、めちゃくちゃドキドキしました。笑
あとは、高配当投資も知り、いいなぁと思ってVYMなども少し買いました。今から思うと、もっと買えばよかった〜!超バーゲンでしたね。
正直、コロちゃんの暴落時に多少でも投資するという体験ができたことは、現在の私のポートフォリオの利回りUPに大きく貢献しています。
2024年9月末時点で、私のポートフォリオの利回りは25%を余裕で超えています。
つまり、次に大暴落が起こった時でも、相当下がっても振り出しに戻るだけという感じで、メンタルの安定の面でも助けになってくれると思います。
コロちゃんで仕事がゼロになった
ちなみに仕事の方は、コロちゃんのせいで数ヶ月間、完全に無職になりました。
補助金などもあったので、生活できないということはありませんでしたが、今後のことを考える大きな転機になりました。
それまでは、自分が好きなことをメインに、そのつど来た仕事をこなして行く、というスタイルでした。
ストック収入を得られる体制を整えた
それが、ストック収入を得られる体制を整えるということでした。
ストック収入とは、自分が作成したコンテンツなどを、販売プラットフォームなどを通じて販売することで、長期にわたって、コンテンツから収入を得る仕組みのことです。
身近なものでいうと、例えば、YouTube動画などもストック収入ビジネスの1つです。
動画が長期にわたって多くの人に試聴してもらうことで、広告収入が得られたり商品が売れたりします。
ストック収益は事業の配当金のようなもの
私は、ストック収益は事業の配当金のようなものだと思っています。
自分が作った動画、音源、写真、講座、など、自分の事業が自分の分身になって働いてくれているみたいな感じです。
コロちゃんでの無職期間を経て、安定的に長期間、収益が上がる方法を考え、仕事を組み立ててきました。
そのため、現在はほぼ自動である程度の収入が確保でき、空いた時間で新たなストック収入先を作っています。収入の柱はいくつあってもいいですから。
ストック収入とは?ほぼ働かず、配当金のように収入をもらう方法
コロナショックからの立ち直りで一気に資産増加
毎月のインデックス積み立て投資は自動で行い、それ以外は基本的に何もやっていない「ほったらかし投資」ですが、コロナショックからの立ち直りで一気に資産が増加しました。
同時に、コロちゃん自粛中に必死で積み上げたストック収入も花が咲き始め、事業収入もアップしていき、一気に純資産は5000万円を超えました。当時アラフォー、40代の初めでした。
今から思うと、もっとコロナショック時に投資しておけばよかったとも思いますが、超初心者でしたし、これでよかったと思います。
ストック収入も定期的に得られるようになり、がむしゃらに働かなくても生きていけるかも?と思い始めたのもこの頃です。
仕事先で熱中症になり、1年間の療養生活
ある暑い日、朝から仕事で出かけていました。
100人程度の前でセミナーをする仕事を受けており、朝からなんだかピリピリしていました。(夫曰く、もっとだいぶ前から少しおかしかったそう。)
仕事自体はうまく行ったのですが、帰り道の車の中で息苦しくなり、水を飲んでも飲んでも身体が熱く、自分がコントロールできない感覚に陥りました。
ここから私の体調は急激に悪化し、毎日何時間も見ていたパソコンが一切開けなくなり、どこにもでかけられなくなりました。
熱中症がきっかけでしたが、おそらくそれまでに蓄積した疲労と働きすぎで、身体が限界だったのだと思います。
そこから1年の療養生活が始まりました。
1年間全く働けなくてもストック収入と株式投資が助けてくれた
この療養中の1年は、本当につらくて、ひたすら身体と脳を休めるだけの1年でしたが、それまでの考え方を見直す良いきっかけでもありました。
- 健康が第一
- 身体と心が元気だったら、なんとでもなる
健康第一とは、わかっていたつもりでしたが、本当の意味では、全然わかっていませんでした。
こういう考えに行き着けたのは、
ストック収入と株式投資のおかげで資産が順調に増えていたことで、療養に専念でき、気持ちに余裕が持てたのも大きかったと思います。
日々暮らすお金に困っていたら、こんな悠長なことは言ってられなかったかもしれません。
現在は資産6000万円を超え、そのままセミリタイアへ
体調は1年で良くなり、現在は健康第一で暮らしています。
資産も6000万円を超え、贅沢をしなければ、ゆるく働く程度で生活していけるようになりました。
きっかけは熱中症でしたが、現在も、そのままセミリタイア生活を続けています。
現在は、積み上げた事業所得(ストック収入)をほぼ自動で頂きながら、好きな時にやりたい仕事をしたり、面白そうなことに首を突っ込んだり、セミリタイア生活をしています。
夫婦で旅行をしたり、美味しいものを食べたり、両親に会いに行ったりと小さな暮らしではありますが、充実しています。
このブログは、以前のカリカリしていた自分みたいな方が、
お金の心配をしないで、無理なくゆるっと楽しく暮らせるようになったらいいな
と思い、少しでもお力になれることがあればいいなと思って、始めてみました。